ドナルド・キーンさんが亡くなった。

コロンビア大学の学生だったキーンさんの「センセイ」について、
司馬遼太郎さんの著作『ニューヨーク散歩』を読んで、感銘したことを雑誌に書いたことを思い出しました。
20年ほど前の拙文ですが、追悼をこめて再録します。

 

「キーンさんにならって、角田柳作先生とよびたい」

と、尊敬をこめて、その著書『ニューヨーク散歩』の中でいっているのは 司馬遼太郎さんである。キーンさんとは、日本学を学び、始めた、コロンビア大学のドナルド・キーン教授のことである。

司馬さんは、1992年2月、コロンビア大学で講演するためにニューヨークに来ていた。
ある日の午後、招かれた、ドナルド・キーン教授の退官記念講演の中で、角田柳作先生に出会った。

明治10年生まれの角田先生は、戦前から戦後にかけてコロンビア大学で日本思想史を教えていた。当時、先生の講義を受けていたのはキーンさん1 人だった。にもかかわらず、「生徒は 1人で十分です」と、黒板を真っ白にして講義をしてくれた。
「私はまだ生徒です」と著作を持たなかった。そのため、母国の日本では無名だった。
講義ノートを使わず、実証的に語られるその講義は、時に、詩的に聞こえたという。

キーンさんは、私はいろんな先生に教わったが、角田先生に優ると思った人はいない、と言いきっている。コロンビア大学では、今でも「センセイ」と発音すれば、角田先生のことに決まっている、程の名講義だった。

かって、辺境の学問であった日本学を、普遍的な学問に育てたキーンさんの先生が、角田柳作という、小柄な明治の日本人だった、ということは意外に知られていない。

『ニューヨーク散歩』の司馬さんについて歩いて、またひとつ教えてもらった。

himahima

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